妻の死を迎えて

2015年1月20日、闘病の末、妻が永眠いたしました。仲良くなって丁度9年、互いに指輪を嵌めてから7年半経過しておりました。

故人は、私の妻として表に出ることは好ましく思っておりませんでした。そのため、このような文章を公開することも躊躇われます。しかしながら、すでに彼女はその人柄を自己として表現することができなくなってしまいました。したがって私が彼女のことを語っていくこともある程度許されるだろうと考え、支えてくださった方々へのお礼の意味も込めて、ここに追悼文(でしょうか?)を書かせていただきます。

自分を持った人でした。仕事をする能力も、気力も、私と同じかそれ以上に持っていました。私の妻として表に出るのを嫌ったのも、自分も仕事等で何者かになりたいという気持ちのためだったような気がします。それでも、私の海外出張に数回付き添ってくれ、学会のバンケットなどを共にしたのは良い思い出です。やはり、私のことを立ててくれていたのだと思います。私が研究成果を出したりすると、喜んで発表文章を一緒に考えてくれました。子育ても、母として全力を尽くそうとしていました。ただ、仕事と子育てのバランスを見出すのは苦労していたようです。そのせいかわかりませんが、出産後は体調が思わしくない時期がありました。その中でも精一杯子供のことを考えていました。

病気は、諸般の事情で早期の発見・対処が難しかったです。ただし、3ヶ月半の闘病期間では、様々な方の協力を得て、全力を尽くしました。ですので、本人に後悔はないと思います。私も毎日病院に通い、投薬の方法、症状の管理などを一緒に相談したものです。院内の散歩、談話室から眺める風景、術後の回復ための運動、全てのことが辛いながらも夫婦で共有できた時間であり、素晴らしい思い出です。とはいえ、闘病末期は壮絶でした。来ていただいた方々にも面会をお断りをせざるを得ない状況でした。申し訳ありませんでした。ただ、妻はよく頑張ってあそこまで生きたと思います。延命措置など考えられませんでした。

通夜式の挨拶でも触れましたが、彼女と私は「病気は辛いけど、今までも、そして今も幸せだ」と何度も確認しました。これまでの人生で、皆様に受けた恩恵は言葉にすることができないくらいです。ですので、妻(と私)は不運であり、今は辛いかもしれませんが、幸せです。皆様、ありがとうございました。

思い出すのは、私がリトアニアに単身滞在している時期であったり、一緒に行った旅行であったりですが、最も多いのは何気ない日常です。しばらくは皆様の前で、突然涙を流すかもしれませんが、ご容赦ください。左記に夫婦での写真を(最初で最後ですが)公開いたします。2009年、リトアニアの首都、ビリニュスでの丘の上からの写真です。

2015年1月 加藤 正史

一ヶ月経過後の追記(2015年2月23日)

その後、いろんな方に「仕事は控えてゆっくりしなよ」とか「年度末だから締め切り近いぞ?」やら、または単純に「どうしてるの?」などの様々な形の愛情を示して頂いているので、追記させていただきます。

妻は生前元気な頃より何故か、自分はいつ死ぬかわからない、だから限られた時間を精一杯生きよう、と言ってました。私も、人生に与えられた時間は有限であると考えてます。ですので限られた人生の中で、自分の感情の問題で仕事を停滞させようとは思いません。すでに仕事に復帰しておりますし、今後も妻の存命中と同じかそれ以上に、仕事に力を注ぎたいと考えております(皆様に満足いただける仕事になっているかは別問題ですが(汗))。また、両親など家族の支えのおかげをもちまして、子供たちも元気に育っております。ご心配ありがとうございました。

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